2024 アメリカ
監督、脚本 ショーン・ベイカー

そりゃそうだよなあ、ってところに裏切らず着地するんだけど、ランディングが実にあざやかで唸らされる
ロシアの財閥の一人息子と偶然にも知り合ったショーガールの、危うい恋の行方を描いた人間ドラマ。
みんな言ってるんでしょうけど、中盤ぐらいまでのストーリー展開は、プリティ・ウーマン(1990)に酷似してます。
本作の場合、やり手実業家エドワード(リチャード・ギア)が財閥の二代目バカ息子イヴァン(マーク・エイデルシュテイン)に成り代わってますけど、いわゆるアメリカンドリームなシンデレラストーリーに大きく影響は及ぼしてなくて。
ま、個人的にはですね、男の扱いに長けた海千山千のショーガールが、いかにもなバカ息子の放言に惑わされて結婚までする?と思ったりはしたんですけど、うーん、夢見ちゃったのかなあ、って。
貧すれば鈍する、って言うしなあ。
20代前半だったらこんなものなのかなあ、って、変なところが気になったりしたんですが、それはさておき。
やはりこの作品が広く評価されたのは、シンデレラストーリーのその後を斟酌なく描いたからだと思うんですね。
プリティ・ウーマンを見て「幸せになれてよかったね」「あきらめなくてよかったね」と涙した人たちをあざ笑うかのようなビターな後半は、いかにもショーン・ベイカーだなあ、と納得しきり。
そのまま波に乗ってカンヌでパルム・ドール受賞、アカデミー5部門受賞は出来過ぎだと思いますが、時代とマッチした、ってことなんでしょうね、多分。
やっぱりね、いくら90年代とはいえ、プリティ・ウーマンは大嘘だし、夢物語だ、ってほとんどの人はわかってたと思うんですよ。
当時私はまだ若造でしたが、それでも「いやいや、これはない、ありえない」と思いましたし。
わかった上でみんながみんな、ハリウッドのおとぎ話に酔ってた節がある。
ただあれから20年以上が経過して、アメリカはトランプ再選で分断は止まらねえわ、格差は広がる一方で寝言は寝て言え、ってな状況だったりしますから。
プリティ・ウーマンみたいなケースもあるし・・・などとほざこうもんなら、現実を見ろとばかりに後ろからバットで殴られ、手元のバッグを奪われかねない状況だったりする(知らんけど)。
それゆえ主人公アノーラとバカ息子のその後の破局を、至極必然に、それでいてコミカルに描いた手腕に共感が集まるのはもっともかな、って。
また、監督がうまいんですよ、逃げたバカ息子を探すアノーラとその取り巻きの、右往左往な狂騒劇を描くのが。
アノーラを演じたマイキー・マディソンのなりふり構わぬ体当たり演技が肝になった部分もあるんでしょうけど、揉めてる相手と協力して行動せざるを得ない絵面がね、なんとも可笑しくて。
ペドロ・アルモドバルの一連の作品をふいに思い出したり。
白眉はエンディング。
ここでエンドロールか!と、鮮やかな幕引きに唸った、ってのもありますが、性を売り物にしてきた女のね、細やかな心理をすくいあげた作劇に唸らされましたね。
なんでショーン・ベイカーはこんなにも女を描くのに長じてるんだ、と。
見応えのある一本でしたね。
ぶっちゃけやってることはタンジェリン(2015)のころからそれほど変わってないと思うんですが、コンスタントに良品を生み出し続ける高いクリエィティビティがついに時代をとらえた、ってことなんでしょうね、きっと。
しかし、カンヌも変わったなあ、って思いますね。
私の感覚では、これはカンヌではないだろ、と思うんですが、パルムドールだもんなあ。
カンヌ、と聞いてつい身構えちゃう人たちには、大丈夫だよ、と声をかけてあげたほうがいいかも。
どうあれ、ショーン・ベイカーみたいなタイプの映像作家に光が当たるのは素晴らしいことだと思います。
見て損はなし。
ねじレート 88/100

