アメリカ 2024
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス、スコット・シルバー

狂えるピエロの、戦慄のフィルム・ノワール
賞レースを席巻し、10億ドルを突破する大ヒットを記録したジョーカー(2019)の続編。
アメリカ本国では賛否両論真っ二つに評判が別れ、ロッテントマトの批評家スコアが31%という謎の低評価にみまわれた作品ですが、いやいや断言しよう、これはちょっと凄いです。
普通ね、続編というと前作の流れを踏襲しつつも、さらなるスケールアップ、さらなるヴォリュームアップで観客のご機嫌を伺おうとするものですけど、本作、そんな安易な予想をすべて裏切ってきてて。
もうこれって、一旦リセットされた、と言っていいと思うんです。
前作終盤の大騒ぎというか、抑圧された感情が坩堝となって大爆発するシークエンスが嘘のだったかのように、ジョーカー、刑務所でしょぼくれて独房ですから。
いきなり現実。
1滴たりとも甘い汁は吸わせてくれない。
しかもミュージカル仕立て、ときた。
よくぞまあここまで冒険できるな、と、こんな大作映画で。
いや私ね、どっちかというとミュージカルはあんまり好きじゃないんですけど、この映画に関して言うなら、おいおい、現実がつらすぎてありもしない夢を見始めてるじゃねえかよ・・・と思ったんですよね。
ラ・ラ・ランド(2016)が恋という熱病に浮かされた二人の夢見る讃歌だったとするなら、フォリ・ア・ドゥは確実な破滅が待ち受けている男のかりそめの喜びを皮肉った鎮魂歌。
この内容で、ホアキン・フェニックスとレディー・ガ・ガに劇中で歌わせよう、とする発想に恐れ入りましたね、私は
いまだかつてこの手の犯罪映画(一応アメコミだけど)で、アニメまで挿入して登場人物が歌い踊った映画、ってなかった、と思いますね。
こんなの、危なすぎて誰もやろうと思わないですよ、まともな監督ならね。
十中八九はスベる、というかミスマッチすぎて最後まで見てもらえない。
それがですよ、不思議と違和感ないんですよね、この作品に関して言うなら。
ジョーカーという狂える地獄のコメディアンみたいなキャラなら、絶対にミュージカルがハマる、と踏んだトッド・フィリップスの慧眼にほとほと感服。
それでいてこの作品が強烈だったのは、徹底して現実味をそこわなぬ作劇を貫いたこと、でしょうね。
なんせゴッサムシティの住人ですからね、歌の力で群衆が一斉に蜂起して刑務所襲撃、カリスマなジョーカーは楽々脱獄、みたいな展開があっても不思議じゃないのに、底意地が悪く思えるほどにリアルはリアル、と監督はアーサー(ジョーカー)を突き放すんです。
挙げ句には、虚像としてのジョーカーと、実像であるアーサーの乖離にまで言及。
裁判所で自らを弁護するジョーカーのシーンなんて、揺るがぬ実相に届くはずない抗弁を虚しく垂れ流すピエロにしか見えず、なんなんだこの絵は、と慄然。
エンディングなんてまるで70年代のフィルム・ノワールというか、アメリカン・ニューシネマですよ。
そりゃ、賛否両論だわな、と納得。
多分ね、否定してる人たちは、ジョーカーを我々の代弁者みたいに考えてたんじゃないか、と思いますね。
続編では、きっとさらなる大活躍で私達の鬱憤を晴らしてくれるんだろう、と。
それをトッド・フィリップス監督は「いや、それはないわ、無理無理、うまくいくはずがねーじゃん」って、やっちゃったから。
誰からも顧みられることなく社会の底辺で迫害を受けていた男の、追い詰められた末の凶行が、一部からカリスマ視されたが、法治社会という盤石のシステムがそれを許しておくはずはないよね、って思い知らせたのが本作ですからね。
しかも移り気な大衆(これはレディー・ガ・ガ演じるハーレイと言い換えてもいい)の無責任さまで克明に描写、ときた。
そりゃ前作に心酔した人たちは、ひどいよ、こんなの見たくなかった!ってなると思う。
その気持はよくわかる。
けれどね、私ぐらい年齢重ねちゃうと、中途半端な夢を見せないことも慈悲、とか考えてしまうんですよね。
微塵たりとも救いを用意しない冷徹さを貫いたことが、アメコミのヴィランというファンタジックなキャラに、肉と血を与え、その生の意味を問いかけるレベルにまで迫った、と言っていいと思います。
もうDCとか、そういう次元にない傑作。
切り取られた瞬間がアートと言っていい場面すらあり。
嫌いな人は一定数でてくるんでしょうけど、それも承知の上で挑戦した監督の意気込みを評価したいし、高い完成度を誇る一作であることは保証できる。
あとは、何を求めるのか、ですかね。
ねじレート 95/100