魔物語 愛しのベティ

1980年初出 小池一夫/叶精作
小学館ビッグコミックス 全17巻

弱小ヤクザ組織のチンピラ肝川胆平と、魔界の頂点に君臨する大魔女ベティの夫婦愛を描く、一風変わったファンタジー。

「ヤクザと魔女」という取り合わせが面白かったのは確か。

構図としては「財閥のお嬢様(文武両道)がつまらん遊び人にひっかかって籍まで入れてしまった(現実だと最悪のケースだな)」に近い気もするんですが、本作の場合、魔女ベティが、現実を塗り替えてしまうような強大な力をもっていることが特徴的でしたね。

何でも出来てしまうんですよ。

けれど肝川胆平はそれが気に入らない。

ヤクザのくせに、変に常識的で純粋なところがあって、人間社会で暮らすなら魔法を使えるからといって埒外な力に頼ってはいけない、と諭すんですね。

普通に、誰からも後ろ指さされぬ慎ましやかな夫婦であろうとする。

それは魔女ベティの出自でもある、魔界のルールを遵守する上でも活きていて。

いろんな障害があるわけです。

なんせベティは魔界の頂点にいる女ですから、取り巻きがあれやこれやと難題を突きつけてくる。

それを肝川胆平はただベティを愛する気持ちに従って、一点の曇りもない献身でひとつづつクリアしていく。

魔界の取り巻きは驚嘆するわけです。

「なんと一途な旦那であることか・・・涙」って。

いや、正直言ってね、魔界の住人がなんで人間社会のモラルや道徳心に准じた価値観なんだよ(だって魔界だよ?)と思わなくもないんですが、物語の図式が「いまだかつて前例のない異人種カップルが、その愛だけを武器に苦難を乗り越えていく」になってるんでね、つい感情移入しちゃって「がんばれ、きっと乗り越えられる!」と年甲斐もなく応援してしまう羽目に。

新上がってなンボ!太一よ泣くな(1987~)の太一と八重夫婦にも似たいたわりあう気持ちの強さに涙腺爆発。

もう本当に小池一夫はずるい。

ロミオとジュリエットの昔から、この手の作劇は鉄板であって、それをケイの凄春(1978)みたいな純愛劇画の金字塔を手がけた人がアレンジしたら、気持ちを揺さぶられないはずもなくて。

あんまりSFやファンタジーが得意な人じゃないんで、いささか世界観ががちゃがちゃしてますけど、そんなの気にならないほどドラマチック。

でまあ、この調子で「奥様は魔女(1964~、TVドラマ)のアダルト劇画版」として連載続けてくれりゃよかったんですが、流石に17巻も続くとね、途中からあれこれ変節してきて。

二人の子供が生まれてからですかね、なんとなく方向性が変わってきたのは。

ホームドラマになっちゃうのは仕方がない、と思うんですが、なんだかだんだん説教臭くなってきて。

極めつけは肝川胆平が女子大の寮の舎監に就任する展開。

なんだかもう一角の人物なんですよ、胆平が、キャラ変わっちゃってる。

一体いつの間にお前はそれほどの教養と説得力を身につけた?といぶかしむほどに傑物として描写されてて。

バカでスケベでどうしようもないけど、純粋でまっすぐな男であることが彼の売りだったのに、なんだか浮浪雲(1973~)の渋沢先生みたいなことを言うようになっちゃってて。

行間でお前は一体何をした?のレベル。

ああ、感動させよう、という作為が前面に出ちゃってるな、って。

以降は「毎回なにかひとつは、いいこと、格言めいた言質をキャラに言わせよう」みたいなお話が連続するようになって。

ああ、これは私が読みたい魔物語ではないな、と。

後半で急速にしぼんでしまった印象ですね。

終わり時を間違えた、というべきなのか。

後半を高く評価してる人もたくさんいるみたいですが、私にとってはどこかクサい芝居でしかなかったですね。

小池劇画ではよくあるパターンなんですけど、私の感覚では、今回も最後までもたなかったか、って感じ。

中盤ぐらいまではよかったんですけどねえ。

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