漫画大学
1950年初出

手塚版漫画の描き方。
とはいえ終戦後の「描き版」の時代の話ですし、技術的なこともあまり書かれておらず、すぐに脱線して実践編とでもいうべき短編が始まってしまうので当時でさえあまり参考にならなかったのでは、と言う気がしないでもありません。
結構売れたらしいですが。
今あらためて読む分には、こういうものもあったんだなあ、という資料的価値で接するのが正解かと。
それ以上でもそれ以下でもない、ってところでしょうか。
ジャングル大帝
1950年初出

手塚治虫の初期の著作の中でも非常に有名で、テレビアニメにもなり、何度も単行本化された本作ですが、まあ、贔屓目に見て、ある種のおとぎ話であり、子供のためのファンタジーであり、けれん味たっぷりな和製ディズニー、ってな感じではあります。
タイトルはやたらかっこいいんですが、知名度にあんまり期待しすぎると肩すかしを食らいます。
あれこれ矛盾や暴走、行き当たりばったりをはらんだまま物語は最後にはなんとかおさまるべきところにおさまるんですが、正直雑な作品だと思います。
初出昭和25年、と言うことを鑑みるならこれを雑、と言いきってしまうのは酷かも知れませんけどね。
テレビアニメを鑑賞したほうが楽しめるような気もしますね。
先生、忙しすぎて細部にまで気が回らなかったんだろうなあ・・と想像したりもする私です。
来るべき世界
1951年初出

HGウエルズの「来るべき世界」とは無関係。
天変地異による地球滅亡の危機を怪生物フウムーンと絡めて描いた終末SF。
本作は後に「フウムーン」のタイトルでリメイク、アニメ化されています。
あっちへふらり、こっちへふらりと寄り道だらけのストーリーで、まあ、時代も時代なのでそのあたりはしかたがないか、と思うんですが、正直前半は散漫な出来。
俄然熱を帯びてくるのは滅亡の危機が直前に迫った後半で、特に講談社全集版140ページのワンシーンには「これが昭和26年の漫画か!」と鳥肌が立ちました。
恐ろしい皮肉さでもって、とんでもなくやるせないヒトコマ。
これにはちょっと仰天しました。
漫画の技法自体がまだ確立しているとは言いがたい時代の作品なので、あれこれ古さは感じますが、それを全部ひっくり返すほどテーマは斬新であるように思います。
そりゃこんなの子供時代に読まされたら手塚信者にもなっちゃうでしょう。
あとはエンディングの残酷さ、身勝手さが、あまりにあっさりと描かれていてびっくりってなところでしょうか。
初期の傑作にカウントされて良い作品だと思いますね。
ロック冒険記
1952年初出

あとがきによると、カレルチャペックの山椒魚戦争をヒントに描かれた作品とのことですが、オープニングのスペクタクルな展開は山椒魚戦争というより現代ハリウッド映画にも通ずるダイナミックさでド迫力なように私は感じました。
まだSFという言葉すらなかった(あとがきより)時代によくぞここまでやったものだと思いますね。
地球と同一軌道上を公転する惑星ディモンがその公転周期を突如早めたため人類に発見され、地球はそのディモンの接近によって津波暴風などの天変地異にみまわれる羽目になる、というストーリー展開は冒頭から震えがくるようなとばしっぷりで、SFファン鳥肌で轟沈。
物語のオープニングからいきなりカタストロフです。
当時の読者にはほとんど理解されなかった、といっておられますがわからなくもありません。
映画の世界にだってこんな大風呂敷な作品は、当時なかったのではないでしょうか。
ストーリーはその後、惑星ディモンの先住者である鳥人と人類が覇権をかけて争うことになるのですが、細部はともかくとしてコンパクトで良くできている物語だと私は思いました。
もっともらしくあちこち修正してやれば充分現代でも通じる内容。
手塚治虫のスターシステムでお馴染みな「ロック」というキャラが初めて誌面に登場したのも本作じゃないですかね。
主役の割には初登場時から微妙に屈折してるのがこれまた「ロック」らしい。
初期の傑作。
漫画の神様の才気ほとばしる一作。
鉄腕アトム
1952年初出

言わずと知れた漫画文化黎明期における歴史的名作。
誤解を恐れずに言うなら、ことロボットSFと呼ばれるジャンルに関しては、何もかも全てアトムがこの時代にして全部やりきってます。
それこそ人あらざるものの自我についてや、人を超えてしまった存在(ロボット)と人類の共存についてまで、その可能性や行き着く果てを手塚先生は想像力を尽くして言及。
もちろん子供向け漫画ですからアシモフを読むように、ブレードランナーを鑑賞するように、ってなわけにはいきません。
アトムが凄かったのは、勧善懲悪な正義のロボットが活躍する、というわかりやすい図式の中に、ロボットがロボットとして人間社会で生きていくというのはどういうことなのか、その本質を並行して描ききってる点でしょうね。
読み込めば読み込むほど、ふとしたワンシーンや、何気ないセリフに、はっ、とさせられることしきり。
表層的なわかりやすさの裏側に潜む深遠なテーマ性がもう、子供漫画の枠組みにないというか。
それこそが半世紀を経て、いまだ支持者の絶えない理由なのではないか、と私は思います。
また、アトムの存在そのものをあくまで異物として配置した設定も、なんてシビアなんだ、と唸らされたりしますね。
人間を超えた能力と知能を持つというのに、愚直なまでに人のため、その身を呈そうとする少年ロボット。
たとえ機械仕掛けと差別されようが、ポンコツとののしられようが、彼は壊れるまで人間のために戦おうとする。
人間たちはいつも後からアトムの滅私な行いに感謝する。
けれどそれも喉元過ぎればなんとやらで。
少しでも人とは違うことを察知すれば再び人々はアトムを弾劾しだす。
これが、いまだ紛争と差別の耐えぬ人間社会への痛切なアイロニーでなくて一体なんなんだ、と私は思うんですね。
この奉仕しても奉仕しても報われぬ哀しみは一体何事なのかと。
残酷すぎやしませんか先生、と思ったりもする。
けれど、だからこそ伝わってくるものの大きさ、考えさせられるものの奥深さは傑出している、とも言えるわけで。
古さはあります。
さすがに昭和27年から連載が始まった漫画ですし。
絵柄も全盛期と比較するなら定まってません。
でも、この作品をスルーしてAIだのアンドロイドだの語れない、と私は思いますね。
やはりロボット漫画の原点であり、金字塔である、と力説したい次第。
名だたる漫画家がみんなマネして、ひととおり一周して、今また逆に先進的なような気さえしてきますね。
ぼくの孫悟空
1952年初出

タイトルから想像できる内容そのまま手塚版西遊記。
大きく改変もなく原典に忠実な設定でストーリーですが、コミカルな演出を多分に意識したようで、随所で度を超えた悪ふざけあり。
三蔵法師一行が日本に渡航して武士とチャンバラしたり、手塚治虫本人が三蔵法師と入れ替わるメタフィクションな回もあったり。
掲載紙が秋田書店の漫画王という幼年向けの雑誌だったらしく、そのせいか、デティールなんてあってないようなものだし、ご都合主義的で説諭めいた寓話性が高い内容です。
簡単に言っちゃえばなにかと適当ですね。
当時は人気があったらしく東映でアニメ化もされたようなので年輩のファンは記憶されている方も多いのではいでしょうか。
知らない人が新たに全巻通読するのは結構大変かも。
リボンの騎士(少女クラブ版)
1953年初出

懐かしさのあまり心は毎週アニメを見ていた少年時代にタイムスリップです。
少女マンガ初のストーリー漫画がこのリボンの騎士らしいですが、もう本当に手塚先生は何でもお描きになって、と感心することしきり。
男性が書いたとは思えぬ線の柔らかさ、愛らしさでただただ驚かされます。
もちろんこれがそのまま現代に通用するとは言いませんが、夢見る少女達の「王子とお姫様の寓話」として設定、プロット、シナリオとも完璧だと思う。
いいオッサンが読んでもなんてかわいらしいんだろう、と身をよじってしまいます。
さらにサファイア姫がリボンの騎士に扮して剣戟にはせ参じるシーンは男が読んでいても胸が躍るものがあって、もうね、ほんと凄いです。
長い間少女マンガはこのリボンの騎士の呪縛から離れられなかったのではないか、という気がします。
アニメの刷り込みもあるのかもしれませんが、こりゃやはり傑作だと思う次第。
ちなみになかよし版リボンの騎士も存在しますがそちらは未読です。
若干キャラクターが違うだけとのこと。
これが嫌い、って女の子は居ないんじゃないか、とすら思いますね。
つくづく怪物だと思います、手塚治虫。
火の鳥(少女クラブ版)
1953年初出

漫画少年やCOMに連載された手塚治虫のライフワーク「火の鳥」とは別物。
タイトルは同じですが、いうなれば同タイトル少女向けパイロットフィルム、とでもとらえるべきか。
リボンの騎士のファンを意識して描いた、と先生はおっしゃってますが、まあそれにしてもラブロマンスです。
特に火の鳥の子供がチロルちゃんと呼ばれているのにはもうむずがゆくって笑うしかない。
熱烈なファン向け。
あの壮大でSFな火の鳥と一緒、と考えて読むと腰を抜かします。
どうしても気になる人は覚悟して読むべし。
漫画生物学
1956年初出

学研の中学生向き雑誌に連載された、生物の不思議を漫画で解説する一冊。
それこそ生命が地球に誕生した不思議から昆虫の不思議まで、バラエティに富んだ内容で、この作品をきっかけにそっちの方面に進んだ、なんて子供も居たかもしれないなあ、と思ったりもします。
興味深いのはただ絵解き風に解説するだけでなく、突然テーマに関連するショートショートみたいなのが毎回挿入されることで、アイディア豊富なサービス精神に本当に感心させられます。
他の作品とは毛色が違いますが、これはこれで楽しいですよ。
漫画天文学併録。
SFミックス
1956~61年初出

主に当時の少年サンデーや冒険王に掲載された短編を集めたものですが、これが意外によくできていてビックリ。
特に講談社全集版1巻に収録された短編はどれもSFマインドにあふれていてストーリーにフックがあり、発表年代や掲載誌を考えると驚きの完成度だと思います。
特に「2から2を消せば2」「最後は君だ」「宇宙からのSOS」等、素晴らしいと思う。
不思議なのは2巻で、これタイトルとは裏腹にSFは一作もなし。
1巻が「SF」で2巻が「ミックス」ってことなのでしょうか?
好みの問題なのかも知れませんが、2巻だけ妙に古くさく感じられました。
個人的には1巻のみ、思わぬ収穫でしたね。
ライオンブックス
1956~72年初出

初期の作品はおもしろブックの別冊に月一で掲載された連作短編、その他は少年ジャンプに掲載された短編を集めたもの。
ライオンブックスの命名は当時の集英社の編集長によるもので、SFを意識して描かれた作品がほとんどであるとか。
ちなみに講談社の全集のカタログにあるタイガーブックスは本シリーズの後発姉妹編のようなもの。
とりあえずおもしろブック掲載のものと少年ジャンプ掲載のものでは時代も絵柄も違うので並列に語ることは出来ないと思いますが、おもしろブックの方が稚拙さが目に付くものの、力が入ってる印象を受けます。
SFという言葉すらなかった時代にそれを浸透させようと息巻いていた先生の心意気が伝わって来るかのようです。
少年ジャンプ掲載のものは良くも悪くも力を抜いた内容。
「安達が原」や「荒野の7匹」等、印象に残る作品もありますが、有名な「百物語」はそれほどでもなく、「マンションOBA」にいたってはほとんどコメディ。
当時のジャンプ読者向き、と考えるなら、これで正しいのかも知れませんが。
手塚治虫の「巧さ」は伝わってきます。
ひょうたん駒子
1957年初出

今はなき娯楽誌、平凡に連載された大人向け漫画。
とはいえ劇画登場以前の作品ですんで、読者層を意識したハードな筆致や描写はありません。
後の「フースケ」あたりの作品と同系統の作風。
南極からやってきたオングル族の娘がなれない都会でまきおこすドタバタを描いたナンセンスコメディーですが、まあ適当と言えば適当で、時代を鑑みればそれも仕方のないことなのかも知れないなあ、と思ったりもします。
こういうのは別に手塚先生じゃなくても・・・って感じですね。
私はあんまり引っかかるものがなかったですね。
「週間探偵」併録。
雑巾と宝石
1957年初出

小説サロンに連載された作品。
追突のショックでブスから美人へと変貌する主人公のドタバタを描いた大人向けラブコメディ。
たあいないといえばたあいないのだけれど、これがもうほんとうにかわいらしい作品で。
先生らしからぬコケティッシュさが魅力の異色作。
自らの画風を掲載誌によって描き分ける手塚先生ですが、本作は当時の手塚治虫の第3のタッチととらえても良いのでは、と思ったりしました。
意外と女性にもうけるのでは、という気がします。
アイディアのみ抽出するなら、現代でも通用しそう。
こういうことをさらっとやれてしまうのが漫画の神様の凄さだよなあ、と思ったりもしますね。
フィルムは生きている
1958年初出

アニメーションを作ることを夢見る主人公がいろんな障害にも負けずに自分のアニメを作り上げるまでを描いた青春ドラマ。
当時、虫プロで日本初のテレビアニメに挑んでいた先生の心情も大いに反映されての作品だと思われますが、これはちょっとどうなんだろうな?と。
アニメ作りをスポコン風にえがくのはいささか無理があるのでは、と思う次第。
大衆演劇をみているかのようなお涙頂戴な展開もやや疑問。
なにより昨今のブラックなアニメ業界の労働環境を知る人にとっては、これはもう別世界の出来事としか思えないのでは、と感じたりも。
時代の風雪にさらされなにもかもが古びちゃった印象。
というか、アニメ産業のブラックさを当たり前にしちゃった戦犯たる先生に、こんなの描かれた日には業界人大激怒な気もしなくはないです。
う~ん、好事家向けでしょうね。
スーパー太平記
1958年初出

未来から江戸時代にやってきた家族がタイムマシンの誤作動で子供だけを江戸時代に置き去りにする羽目になるが、子供は偶然にもスリに身をやつす女に拾われて・・というSF時代劇。
いわゆるタイムスリップものですね。
おもしろくなりそうなオープニングなんですけど、結論から言ってしまうと失敗作ではないか、と。
SFなオープニングが全然いかされてない展開がさんざん続き、エンディングに至っては、結局そうなるならもっと早くそうするべきでしょうが!というツッコミの大合唱が聞こえてきそうな御都合主義的大暴投。
うーん、これはちょっとさすがに好意的には書けないなあ、と。
よほどのファン向けでしょうね。
虹のプレリュード
1958~75年初出

主に少女雑誌に掲載された作品を集めた短編集。
表題作が一番読み応えがあるか、と思われますが、ロシアに占領される直前のポーランドにおける女性ピアノ奏者のストーリーゆえ短編で料理するにはなにかとテーマが重厚で大風呂敷で、たった100ページほどではもの足りぬ感触もあり。
ただ、ここからルードヴィヒBにつながっていくのか、と思われるような音を絵で表す試みもあり、そういう意味ではとても興味深いです。
手塚治虫の少女向け短編がお好きな方はお気に入りの作品集になるのではないでしょうか。
0マン
1959年初出

リスから進化したという設定の亜人種0マンと人類の、地球の支配権を巡る攻防を描いたSF巨編。
人間に拾われ、はからずも田手上博士と心を通わせる結果となった0マンリッキーは自分の種族と人類の間で板挟みとなって苦しむが・・というストーリー。
これでもかとばかり人類はどこまでも愚かに描かれており、同様に0マンの支配層も、進んだ科学技術を形にする明晰さを併せ持ちながら暗愚で、問題を解決する糸口が見えてこないままお話は進み、少年漫画にしては暗い内容、と言えるかも知れません。
物語の顛末も決して希望に満ちたものとはいえぬシニカルさですが、それゆえ手塚治虫が訴えたかったことが浮き彫りになっているのは確かです。
時代が時代なので何かと雑で安直な展開もありますが、これをハッピーエンドにしなかったのはさすが先生、と思う。
枝葉末節は不揃いといえるかもしれませんが、物語の中心に据えられたものは現代でも通用するでしょうね。
結局、SFにおける異分子との共生って永遠のテーマなのかもしれません。
しかしまあそれにしてもリッキーはかわいい。
大きなしっぽが実にチャーミングです。
近くにいたらなでくりまわすと思う、ほんと。
魔神ガロン
1959年初出

宇宙から降ってきた巨大人型生物兵器をめぐっての騒動を描いたSF大作。
雛形は鉄人28号か。
このころの巨大人型ロボといえば必ず少年がコントロール、と言う不文律があったように思いますが、本作も御多分にもれず。
その少年をも宇宙から飛来させた、と言う点が従来の作品との差異かも知れませんが、ここは普通に地球の少年でよかったようにも思います。
宇宙の少年の操る宇宙ロボと言う設定が物語をわかりにくくさせているし、カタルシスを得にくくさせている、というのはありますね。
ガロンは後の手塚作品にもちょくちょく顔を出すのでデザインだけはご存じの方も多いかと思いますが、名の知れた作品の割には何故か本作、途中で中断しているんですね。
全集でも完結しないまま終わっており、その説明はあとがきでもされていません。
ネットで調べたところによると本作は中盤以降を別の人に代筆してもらっており、それを嫌った手塚本人が作品後半の収録を許してないのだとか。
えー評価のしようがないです。
先生の死後、代筆部分も単行本化されたようですが、そこに価値を見出すのはなにかと難しいですね。
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