2023 フランス
監督、脚本 リュック・ベッソン

アメコミを期待すると足を踏み外すが、踏み外した先に予想外のドラマが待ち受けている
数十頭の犬に囲まれて暮らすドラァグクイーンの凄絶な生きざまを描いたアクション/人間ドラマ。
冒頭からいきなりではありますが、私はリュック・ベッソンと言う人を全く評価してなくて。
最後の戦い(1983)とグラン・ブルー(1988)はそれなりに好きで「この先なにかすごい作品を撮ってくれそう」と大昔に期待したんですが、ニキータ(1990)で「いや、そうじゃなくて」と思い、レオン(1994)で「大きく失望」し、現在に至ってる状況でして。
レオン以降も監督作をぽつぽつ観てはいたんですけど、ああもう完全に職業監督だな、としか思えなくてね。
なので今作も評判を全く信じちゃいなかった。
今更リュック・ベッソンが傑作をものにできるわけねえじゃんか、と。
ったく、誰が褒めてるんだよ、と眉をひそめてたんですけど、見進めていくうちに、眉をひそめられるべきは俺なのではと考え直し、いささかあたふたしました。
いやいやこれがね、どうしたリュック・ベッソン、と問いただしたくなるレベルで面白い。
表層的で広い層が食いつきやすいエンタメばかり撮ってた人が、本作に限っては、主人公であるドッグマンのキャラクターを作り上げるのに、とても細やかで丁寧な仕事をしていて。
なぜ男は犬だけを友とし、ドラァグクイーンとして生きることを選んだのか?をすごい説得力で描いているんですよね。
そこに居るのは、社会から弾かれてしまった車椅子の孤独な中年男性。
誰からも顧みられることなく、唯一の味方であるはずの家族すら居ない。
そもそも選択肢が存在しないんです、彼が彼らしく生きていくための。
ああ、これはリュック・ベッソン版ジョーカー(2019)だ、と私は思った(みんな言ってるんでしょうけど)。
で、監督がすごかったのは、歩けない上に犬しか味方の居ないドッグマンを暴力沙汰に駆り立てたこと。
ジョーカーのように弱者のアイコン、ってわけじゃないんですよ、自らが招いた結果とはいえ当事者としてギャングと争うことを余儀なくされてしまう。
犬が現実を超えて有能なんでね、まるでアメコミのヴィランのように見える側面もあるんですけど、実際は体の不自由な異装愛好者が、決して多くを望んでるわけではないのに死に物狂いで戦うことを強要されてしまう展開でしかないわけで。
アクションシーンで、犬の賢さ、立ち回りの優秀さが強調されてるんでね、一見爽快だったりはするんですが、ドッグマンが人知を超えた能力を隠し持ってるってことではない、というのが大事なポイントでね。
もうね、絵的に痛々しいんです。
ひとつタイミングが狂えば秒殺されてしまうことは間違いない。
やっと静かな平穏を手に入れたつらい過去をもつ体の不自由な男を、まだ追い詰めるのか、この物語は、と。
これを規格外のダークヒーローなどと喧伝する配給会社は相当に太い神経だな、と思ったりもしましたね。
そして迎えたエンディング、ぼーっと見ていたら、え?これで終わり?と思うかもしれません。
どこにも着地してないじゃないか、と言う人もいるかも知れない。
私も最初は、あれ?なんだこれ?と思った。
とりあえずね、数分でいいから見返してみることをおすすめします。
歩けない(歩いてはいけない。髄液がもれてしまうから)はずの主人公が、結構な距離を歩いてくる。
影が重なる。
DOGの綴りを逆にすると。
・・・・今、気づいたんですけど、私ひょっとして壮大なネタバレやってますか?いや、すまん、マジで。
でもね、このラストこそが最も肝心であって、ラストをどう解釈するかによって評価が全く違ってくると思うんでね、どうかそこは見過ごさず、集中してください、とお詫びも兼ねてお願いする次第です。
監督の過去のバイオレンス映画とは毛並みが全く違いますから。
というか彼の映画で涙腺をやられたのは生涯で初かもしれない。
意味がわかるとやたらに暗示的なラストもそうなんですが、特に主人公がステージでエディット・ピアフを歌うシーンは必見ですね。
みんな言ってますけどね。
こういうことを60歳過ぎてやるのか、監督よ、と。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの憑依されたかのような演技も、ドッグマンというキャラクターに息を吹きこんでいたと思います。
リュック・ベッソン、数十年ぶりの傑作じゃないでしょうか。
彼の若い頃の感性が、どこか少し香ったような気がしましたね。
ねじレート 92/100