2022 アイルランド/イギリス/フィリピン/アメリカ
監督 ロルカン・フィネガン
脚本 ギャレット・シャンリー
こんな風に恨まれてしまっては、命がいくつあっても足りない、と思った
謎の体調不良に苦しめられる主人公クリスティーンのもとに、ある日突然現れた正体不明の家政婦の奇妙な振る舞いを描くホラー。
ま、正直言ってあんまり気分の良くない作品です、これ。
乱暴にジャンル分けするならミヒャエル・ハネケのファニー・ゲーム(1997)あたりに近い感触。
不条理極まりないんですよね。
ま、そもそもホラーにおける恐怖なんて不条理なもので、その場へ行ったら祟られたとか霊に取り憑かれたとか触っただけでアウトとか悪魔のせいで首360度回転とか、どれもこれもろくなもんじゃないんですけど、私の感覚ではおおむねどのケースもきちんと「因」があり「果」をなしているように感じられて。
行くなと言われてるところは行っちゃだめだし、関わってはいけないものに首突っ込んだらだめなわけですよ。
余計なことするからとんでもないことになるんであって。
全てのホラーが特定の因果律に従っている、とはいいませんけど、なにもないところからいきなり呪いが降って湧いたりはしないわけだ。
なのに、ですよ。
どういうつもりなんだかさっぱりわからないんだけど、全くの死角から突然飛び出してきた見知らぬ何かが、一方的に害をなす物語を作ったりするドS野郎が、ふと油断した隙に、私が見そうな作品を(知らんがな)発表してやがったりするわけですよ。
まったくもって、出会い頭の接触事故よりたちが悪い。
昔ながらのホラーファンとしてはだ、ホラーはホラーでもこういうのは恐怖を楽しめないから嫌いだし、これを同じ括りで扱わないでくれ、と抗議したいところですが、すべては後の祭り。
もうね、作中の家政婦がねー、ほんと嫌な感じでねえ・・・。
家政婦には許せない人物がいるんですけど、これがね、どう考えてもほぼ八つ当たりであって、完全な逆恨みなんですよね。
ネタバレになっちゃうから詳しくは書かないけど。
家政婦の憎しみの発端となった事件の何が悪いのか?を突き詰めていくなら、実は資本主義社会の構造そのもの、ファストファッションの闇にこそ大元の原因があって。
だから彼女が恨み骨髄!ってなるなら、T◯M◯とかSH◯INとかを操ってうまい汁を吸い続ける中◯共産党をまずは壊滅、働かされてる少数民族を労働という名の使役から開放するところから始めなきゃならない。
それでこそ元凶を正したと言えるんであって。
その次ですよ、政治も含めて東南アジアの労働環境を是正していくのは。
つーか、フィリピン有数の呪術師だというならそれぐらいやれよ、って。
とりあえず自分ができそうなところでね、わかりやすいターゲットを選んでるのがほんとに嫌な感じでね。
実際、目的を達成したところでね、なんの解決にもならないわけですよ、同じような悲劇に見舞われる女がいずれまた現れるのは火を見るより明らか。
恨みが強すぎて何も見えなくなってるのか、もともとそうなのかわからないけど、深刻に頭が悪いんですよね。
こんなのに知らないところで一方的に恨まれた日にゃあ、恐ろしくって普通にビジネスすることすらできやしない。
監督はこの物語が消費社会、格差社会への警鐘になってる、と本気で考えてるんですかね?
それともブルジョワジーへの純然たる悪意?
悪いけど、ただただ後味が悪いだけだから。
私は何でもかんでも自己責任、自己責任とのたまう昨今の風潮があまり好きじゃないんですが、さすがに今回ばかりは自己責任にも思いを巡らしてみたほうがいいよ、と思った。
・・・・・あ、今わかった、不条理じゃなくて理不尽なんだ、この物語。
それが肌に合わないんだわ、私の場合。
ま、フィリピンの呪術(シャーマン)を西洋に持ち込む発想は目新しかったですし、じりじりと炙るように不快感を煮詰めていく作劇はうまいと思いましたが、シンプルに嫌いですね、この映画。
監督は実力ある人だと思うんで、前作ビバリウム(2019)が気になるところですが、こんなの見せられちゃったらもう追いかける気になれない。
昔のラース・フォン・トリアーとか好きな人はひょっとしたら同調できるかもしれないですけど、私はもういい。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」ってスパイダーマンも言ってただろ、観てないのか?家政婦よ。
あと余談なんですけど、エヴァ・グリーンはこの手のヒステリックで神経質そうな役柄はあんまり似合ってないと思うんだけどどうだろう?
ねじレート 75/100(映画の出来だけを考えるなら)