2021 アメリカ
監督 ラナ・ウォシャウスキー
脚本 ラナ・ウォシャウスキー、デヴィッド・ミッチェル、アレクサンダル・ヘモン

社会現象を巻き起こしたマトリックス3部作の20年ぶりの続編。
御多分に漏れず、この私も過去3部作は劇場にまで見に行くほど熱狂したクチですが、正直今回の続編に関しては制作が発表されたときからいささか複雑な心境ではありました。
え?だって3部作でマトリックス終わってるじゃん、続きは必要ないでしょ?みたいな。
ウォシャウスキー姉妹の近作がことごとく当たってないからってマトリックスに手を出すのは禁じ手でしょ?と眉をひそめたり。
ほとんどのケースで失敗してるんだよ、こういう形の続編って、と嫌な予感でいっぱいだったわけですが、そうこうしているうちに妹リリーの不参加が報じられ、ますます不安は膨らんでいく有様。
それでもマトリックスの看板を掲げている以上は、見ない、という選択肢は自分の中にはなくて。
で、おそるおそる見進めていったわけですよ、期待しちゃいけない、と自分を戒めながら。
そしたら、だ。
思ってた以上に悪くはない。
少なくとも過去3部作で作り上げたマトリックス独自の世界観を自らぶっ壊すようなことはしていない。
丁寧に仮想現実と現実世界を描き分けて緻密な物語を編みあげてるし、錯綜するストーリーの背景もしっかり構築されてる。
どこか哲学的で、観客を煙に巻くような台詞回しも相変わらず。
私が感心したのは20年経過しているというのに「あの頃の空気」を変わらず作品がまとっていたことですね。
ああ、そうだ、マトリックスってこんな映画だった、と記憶を蘇らせてくれるというか。
これってなかなかできないことだと思うんですね、いかに同じ監督が撮ってるからとはいえ。
なんせ20年経ってるわけですから。
おそらく、未編集の映像を見ながら幾度も試行錯誤が繰り返されたんだろうと思うんです「これはマトリックスではない」みたいな感じでね。
でなきゃこうはならない。
正直シナリオは、無理矢理でっちあげたな・・・みたいな感じもあるんですけど、作品を貫くテーマとして、仮想現実とリアルが反目し合うことですべての答えが導きだせるわけではない、と落とし所をつけたのは時代に即してる、と思いましたね。
なんせ時代はメタバースですからね、20年前とは全く状況が違う。
今を読む感覚を作品作りに反映できないのは、世間の流れについていけなくてアンテナはってない、もしくは加齢で衰えた証左だったりしますし。
また同時に、この物語がラブロマンス的な側面を併せ持ってるのも巧みだな、と思いましたね。
愛と絆を信じるとか、真正面からやられた日には小っ恥ずかしくて見てられなくなったりするものですけど、二人(もちろんネオとトリニティー)を隔てる障害の設け方と引きが上手なものだから、つい感情移入してしまう。
えっ、あんなに二人は強く信じ合ってたじゃん、ああ、もどかしい!みたいな。
見事、薬籠中の罠にハマる俺。
なんせ三部作の積み重ねがありますからね、わかってたってビル屋上のシーンじゃ思わず感動してしまったり。
そりゃね、壮大なる蛇足、と言ってしまえばそれまでです。
4作目必要だったか?と問われれば、これは絶対に不可欠だ、と反論できるだけの材料は私の中にはない。
そもそも過去三部作ですら、意味わかってないところがありましたしね。
今回、この作品を見て、ああ、そういうことだったのか、と解せた点がいくつかあったり。
バレットタイム等、当時革新的と言われた映像表現を全くアップデートできてないのも確かですし。
焼き直しと言われればきっと焼き直しなんでしょう。
でも、見終わって感じたのは、またマトリックスに会うことができた素直な喜びの感情だけで。
思い入れが強く作用してるのかもしれませんが、そもそもハードルが高すぎるんであって、伝説の名作の続編としては及ばずともギリギリ合格ラインな気がしますね。
唯一残念だったのはエージェントスミスとモーフィアス役の役者が変わっていたこと。
ヒューゴ・ウィービングはもう還暦過ぎてるから体力的に無理と判断されたのかもしれないけど、ローレス・フィッシュバーンはジョン・ウィックにも出てるぐらいだからいけただろ、と思うんですけどね、嫌われてたのかなあ。
ともあれ、当時三部作に熱狂した人は大きく失望することはないんじゃないでしょうか。
私はこれはこれでいいんじゃないかな、と思いますね。
とりあえずキャリー・アン・モスが老けててきつい、とかは言うな。
ラナは綺麗に撮ろうとすごく頑張ってるぞ。